夫につきあっての茨城県へのショートトリップ。
2泊して帰宅予定の日、
「せっかくだから霞ヶ浦を1周して帰ろう!」と国道125号線のバイパスを走っていました。
すると、阿見町に入ったあたりで「阿見町っていったら、このへんに予科練の跡地があったんだよなぁ」と夫が言った直後!
「おっ?予科練平和記念館だって!」
夫、国道からこれ、見つけちゃいました。
旅客機には乗りたくないのに、ゼロ戦には興味あるという変わった人だわね。
予科練とは・・・
第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧米列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始。
14~17歳までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をする。終戦までの15年間で約24万人が入隊しその中の約2万4千人が戦地へと向かい、戦死者は8割の1万9千人にのぼった。
いただいたパンフレットより一部引用
まず、入って目にする美術館のような建築物。
この建物、当時空にあこがれて入隊した少年たちの気持ちを考えて、いまも変わらぬ空の風景がみられるような設計なんだそうです。
中は撮影NGですが、7つの空間から構成されています。
入館料は500円、JAFのカードで400円になりました。
7つの空間。
それぞれ「入隊」「訓練」「心情」「飛翔」「交流」「窮迫」「特攻」と名前が付けられていて、それぞれの部屋に展示物、書物、スクリーン、当時の食堂などの再現など・・。
この7つというのは世界の七大洋を表したもので、当時の少年のあこがれであった予科練の制服の七つボタンにちなんで作られたそうです。
中には、自衛隊の方?とっても礼儀正しいガイドさんがいらして説明をしてくれました。
そして外へ出てゼロ戦の模型を見学。
私は夫と違って語るうんちくもないので、紅の豚のイメージで眺めていました。写真だけ並べてみます。
私が目を引いたのは、こちらの人間魚雷「回天」の模型。
人間魚雷・・。
いったん入ったら中からは出られない。
当時の若者は、どんな気持ちでこの中に入ったのだろう。
回天は185発(185人)発射されたそうで、実際に敵艦に命中したのは5発だけ。
・・・ということは、その他の人は覚悟をもって入ったのにも関わらず目的も果たせずに海に落ち、脱出も出来ずに窒息か餓死するしかないという。
なんと残酷な設計なのでしょうか。
戦争とはそういうことなのだ。
この青い空と白い雲を見上げながら、あらためて戦争とは何なのか・・考えました。
そしてこの日は、こどもの日。
敷地内は公園のようになっていて、お山があったり木陰の休憩所があったりして、敷物を敷いてピクニックを楽しむ家族や自転車の練習をしているおじいちゃんとお孫さんも見かけました。
私のこころの中でユーミンの「ひこうき雲」がずっと流れていて、
平和について考えたひとときでした(^^)/