実家の母は、齢、八十に手が届く。
障がい者手帳を持ち、杖歩行で、スズキのシニアカーがふだんの暮らしの相棒。
まだまだ珍しいシニアカーに乗っていると、必ず「それ免許いるの?」「どこで買ったの?」と声をかけられるらしい。
最近はアレクサとすっかり仲良くなって、昔ファンクラブに入っていた織田裕二の映画やドラマをAmazonタブレットで観ている。
先日。
何も予定がないお休みがあって、私から電話で誘った。
「天気もいいし暇だから、どっかドライブに行かない?」
「あら、いいわねぇ」
と、目的は決めずにドライブ決行!
たしかに私も、天気のいい日に外へ出てみるのは日常生活のちょっとした気分転換になるもんな。
ねっ。花が咲くのはもうちょっとみたいだけど、山や空が気持ちいい。
「やっぱり、たまには外の空気を吸うのはいいね」
高齢になると、なかなか自分では遠出できないから、母はこういう時間を心から喜んでくれる。
お昼は、ふたりとも大好物のゆずうどん。
ここのゆずうどんは、本当に美味しいからおススメですよん♪
おいしいものをいただいて満腹になって、また車を走らせる。
道の駅みたいな地元の品を並べているお店がみつかって、お買い物をした。
その道の駅のテラスで、こんなおしゃれな花手水を発見!
「廃棄する前のお花なんだって。」
花手水にしばし癒されながら、母が言う。
「お姉ちゃん(私のこと)も、“暇だからどっか行こう“なんて思う時があるんだね」
「うん。長いこと、自分で暇(ひま)って思うのも、人から言われるのも嫌いだったけどね」
「でも、暇だなぁと思うのは、平和だったり、すこやかな証拠だよ。」
なんだか、哲学的なことを言うなぁと思ったけれど確かにそうかも。
「あの時(私が心身壊した時)あんなに時間があったのに、暇だなぁ、とか思わなかったでしょ。時間がコワいとか、言ってたじゃない?」
母曰く、病んでいるときや危険な状況に置かれているときは、いくら時間があっても「暇だなぁ、何しようかな~」という思考にならない。
大げさに言うと「暇だ」と思うということは、生きる欲がある時の健全な思考だよね、と。
なるほど~深いな。
(急にそんなこと言われてびっくりしたけれど)
ふと心身壊してドクターショッピングをしていた数年前を思い出す。
あるお医者さんから
「仕事辞めたんだったら時間はいっぱいあるでしょう。暇つぶしにしたいこと、何かないんですか?」
と言われ、
「それが、何もできないんです。」って泣いて訴えたことがあった。
若い頃も、あの時も、「ひま」の二文字は私にとってネガティブでしかなかった。
いまこうやって、平日のぽっかり空いた暇な時間を、
ドライブを楽しもう。
ランチを楽しもう。
おしゃべりを楽しもう。
韓国ドラマのつづきを観よう。
お花を植えてみよう。
コーヒーをのみながら、ただボーっとしてみよう。
そんな風に思えるのは、健やかなしるしと捉えることにする。
母の言葉で、急に「ひま」の二文字が愛おしく、案外ポジティブな言葉なんだと気づいたのでした。
また、桜が咲くころドライブ行こう(*^^)v