昨年のゴールデンウィーク。
旅行の予定が所用でキャンセルになり、それならそれでと近場の埼玉県に何回もドライブに出かけた。
あのときも予定がなくなって、さあどうしよう・・と思ったけれど、結局夏休みの計画を立てたり、ガイドブックで妄想旅行したり。それなりに楽しく過ごせた。
今年のそれとは雲泥の差がありすぎる。
今年は、ゴールデンウイークはおろか夏、その先の公私共に予定が見えないのだから・・・。
とにかく粛々とした日々の中に、ささやかな楽しみを見つけて過ごしていくだけだ。
話を昨年に戻すと、その代替えの埼玉県ドライブで線路スポットにそそられて行ってみたのが、ここ↓
「この門に入るものは自己と他人の生命を尊重しなければならない。」
武者小路実篤とその同士が理想郷を目指して作ったという新しき村の入り口。
もしかしてカルトか?
やばいところ?
母を連れてドライブでくるところじゃないよね。
あまりにミステリアスすぎるので、ここより先は躊躇して入れなかった。
くわしくはこちらを。昨年は楽しい記事も書けましたね・・・(´;ω;`)
読書は大好きではあるけれど、それまで興味もなかった武者小路実篤氏。
そこを訪ねたのがきっかけで、そのあとちょっと調べたりもした。
(・・・というか、私の最終学歴は実は国語国文科だったりする💦)
東大中退という過激な学歴で、小説家、詩人、画家などアーティスティックな部分と、51歳のときにヨーロッパを旅行し黄色人種の差別を体験してから戦争支持者となり、太平洋戦争中に戦争協力が原因で追放されたという政治色の強い部分が入り混じった異色の経歴を持つ人。
語弊はあるかもしれないけれど、いまひとことでいうなら「変わり者のおじさん」だ。
でも。
この「変わり者のおじさん」が発した言葉が、いまの私の心にけっこう響く。
例えば、
教育という子供たち相手の仕事の場では、こんな言葉がこころのゆとりをもたらしてくれる。
色と言うものは
お互い助けあって美しくなるものだよ。
人間と同じことだよ。
どっちの色を殺しても駄目だよ。
どの色も生かさなければ。
病から日常生活に復活したときに思ったことを代弁してくれたのは、これだ。
自分でも何かのお役に立つのだ。
このことは喜びである。
この喜びは自分の一生が、
無意味でないことを示している。
このことを幸福に感じるのである。
そして、このいまの見えないウイルスの猛威の影響で不安定な日々には、こんな言葉が響く。
もう一歩。
いかなる時も自分は思う。
もう一歩。
今が一番大事なときだ。
もう一歩。
自分の力に合うことだけしろ。
その他の事は、
おのずと道が開けてくるまで待て。
まだまだたくさんあるのだが、最後にスポ根か?精神論か?とも思ってしまうけれど、私にはたんぽぽをイメージさせるようなこんな言葉も。
ふまれても
ふまれても
我はおきあがるなり
青空を見て微笑むなり
星は我に光をあたえ給うなり
自分でも気がつかなかったこと。
思いのこもった短い言葉がどうやら私は好きみたい。
「止まない雨はない」とか「誰にでも平等に明日はやってくる」とか。
短くても深い言葉が。
現代では相田みつをさんの言葉が壁に飾られているのをよく目にするけれど、昔は、この武者小路実篤さんの言葉が飾られるのがポピュラーだったとか。
いつの時代にも言葉の力って意外と大きいのかもしれない。
明治・大正・昭和という激動の時代を生きたいにしえの武者小路実篤氏の言葉が、
令和のいまの私のこころに響くなんて!
変わり者のおじさんだけれど、やっぱり偉大だしミステリアスだな~☺