今年は、ひとりの作家との出会いで始まった。
しつこいぐらいに最近のわたしのブログに登場する、乃南アサさんである。
年末は忙しくて本など読めなかったけれど、年明けに『火のみち』を読んでから、古い言い方でいうと、乃南作品のとりこになってしまった。
そして3月・4月・・・。
だんだんと世の中が「家で過ごしましょう」という空気になって時間がまたできたので、図書館が無期閉館になる前に借りてきた数冊のなかの、この作品。
ニサッタ、ニサッタ
先週、1週間かけて大切に大切に読んだ。
講談社よりあらすじ引用
何も悪いことなんかしていないのに、どこまで転げ落ちるのだろう?
現代日本で働く若者をリアルに描く長編小説転職した会社が倒産してしまった片貝耕平は、人材派遣会社に登録したがどの仕事も長続きせず、担当者と喧嘩して辞めてしまう。アパートの更新もできなくなり、一発逆転を夢見てギャンブルにのめりこんで消費者金融の「回収担当」に追われる身となった耕平は、ようやく住み込みの新聞配達の仕事を見つける。
上に記したあらすじは前半(文庫だと上巻)の部分。
これだけ読んでいると、まあよくある若者の話で「自業自得だよ」とか、まったく面白みも感じないと思う。
でも・・・
『仕事』『失業』『求職』というワードにおいては、少し胸が痛くなった。
仕事がない。
仕事ができない状態になる。
一度でもその恐怖を、また、その張り合いがない日々を味わったことがあれば、きっとぐいぐいと引き込まれていく。
再び仕事ができる日が来た時の喜び、ありがたさ。
私はそのときの気持ちを、主人公耕平に共感してしまった。
そして思い出すこともある。
看護師の友人のこと。
妊活してやっと双子ちゃんに恵まれた彼女。
出産後、産後うつ、育児ノイローゼになってしまい、私のもとへも「あんなに欲しかった自分のこどもが可愛いと思えない」とか「明日の朝の食パンがないのが不安で不安で」という不思議なメールが来たりして、当時は本当に心配になった。
旦那さんには「何がそんなに大変なの?」と聞かれて絶望し、家出したことも。
お子さんが幼稚園、小学校と成長し最近は看護師の仕事に戻れたと聞いて久しぶりに会ったときに、
「仕事っていいね。働けるって生きてる感じがするよ。」
としみじみ言っていた。
「最近はママなんて相手にしてくれないのよ」
清々しい顔が今でも忘れられない。
数年前、自分も病から仕事や日常の復活をしたとき、彼女とまったくおんなじ気持ちになったことがあり、だからこそ大きくこの主人公耕平に感情移入してしまうのかもしれない。
後半になると、耕平の故郷に舞台がうつる。
新聞配達の仕事中、どうしても許せない、譲れないことがあり心折れて故郷へ帰る。
北海道の斜里。
ここでやっと重要人物、祖母とわが登場。
アイヌや和人、民族差別について考えさせられる。
耕平が失意のどん底の中、祖母とわがこんな話をする。
「明日のことなんか誰にも分かりっこねえもんだ。いっくら考えたって、どうなるもんでもねえ、だからなぁ、もうこわくてたまらんと思うときはねぇ、まず今日やることだけかんがえてりゃ、いい」
ニサッタとは、アイヌ語で明日のこと。
ニサッタ、ニサッタ。
あとは 明日、明日。
いま目の前のことだけ考えればいいよ。
そんな祖母とわの言葉は、なんだか未来のわたしたちに放ったメッセージのように感じてしまった。
読了感がある、今読んでよかったと思える一冊でした。
お題「#おうち時間」