2019年8月26日。
成田空港を出発し、韓国の仁川経由でウズベキスタンのタシケントに向かった。
今となっては、自分でも本当に行ってきたのか、それも信じられないほど世の中の状況が変わってしまったのだが・・・。
うん、確かに行ってきた・・・のだ。
ふだんは50代パート主婦である私がすこしずつ資金を貯め、何か月も前から旅程やホテル、ガイドブックやネットを目がショボショボするぐらい毎日楽しみながら計画する。
そして帰ってきて写真の整理やこのブログに旅行記をしたため、後に続く旅人へお役に立てたら・・・と、情報を発信する。
それが、私の1年前までの大きな楽しみでもあった。
コロナ渦で、世界中がこの状況で誰もが何かしらの制限を強いられているのだから海外旅行なんてしばらく無理に決まっている。それは頭ではわかっているつもりだ。
春以降、とにかく仕事があるありがたみはもちろん感じながら、精力的に本を読んだりネットで疑似的に旅を体験したりして。
言葉があってるかわからないけれど虚無感をごまかしてきた。
あと、自分で書いた旅行記を読み返してみたりね。
これが意外に手前味噌ながら感動して泣けちゃって。
昨年8月の渡航以来、旅の計画やガイドブックを買ったり読んだり、渡航先のことを調べたりしなくなったのだから・・・もうすぐ1年。
また、ここへきて猛暑。灼熱のウズベキスタンを嫌でも思い出す。
水辺で飲んだあの日のモヒート、なんて美味しかったことか。
3日間のお盆休み、時間ができた。
でも、東京都の郊外在住者は、県外の国内旅行にも、また昨年のように東京23区にも出かけづらいような状況。
絶対に自分でも認めたくない表現であるが(笑)だらだら過ごしながら、
「ああ、去年の今頃はスーツケースに荷物入れたり出したりしながら、あーでもないこーでもないと言っていたなぁ」
と、思いつつスマホのYahoo!ニュースをスクロール。
そこで見つけた、今の私にちょっと素敵な記事。
私の旅人生を作ったともいえよう深夜特急シリーズを書いた沢木耕太郎さんがインタビューでこんな話をしてくれている。
■「行き先を決めたときに、旅はもう始まっている」
コロナ渦で自宅に閉じ込められ、本を読むしかなかったという40代の友人が『深夜特急』文庫版全6巻(新潮社)を25年ぶりに再読して、こうため息をついた。「吹き上げるようなエネルギーと狂気。これは学生時代の私に海外旅行ならぬ”海外冒険”を教えてくれた、価値観をひっくり返すような作品だったんですよ」。 知識と覚悟があれば、貧乏学生でもバックパック1つ背負って1人で世界を歩けるのだと知った。何不自由なく用意された綺麗な観光旅行ではなく、現地の日常の中をその日の興味がおもむくままに旅して、日本の暮らしでは出会えない人々に出会い、漂白されていない貧困や危険、悪意にも出会った。自分が大人になっていく気がした。
(中略)
こんなご時世ではもう旅行どころじゃないですよねと嘆いてみせるインタビュアーに、作家はこう答えた。
「しばらく旅行は無理かもしれないね。でもほら、思い描いている時点でもう物語の半分はできているわけだから、半分旅をしているんだよ」
遠くへ出かけられない私たちにも、旅はもう始まっている。
※東洋経済オンラインより一部引用
行き先を思い描いている時点で、
旅がもう始まっているなんて!
わかってはいたけど・・・・・・
この沢木さんらしい言葉が、いまの私のこころを明るく照らしてくれたのは確かだ。
行きたいと思っている場所なんてまだまだ無限にある。
泊まってみたい都市やホテルだってあるある祭りだ!
いつかの旅のための、構想を思い描きながら日常をおくる。
よし、次はどこへ行こうか(^^)/