連休中、実家へ。
実家には母と弟の家族5人が二世帯で住んでいる。
私にはふたりの弟がいて、
訳アリで(!)独身に戻り謳歌している下の弟が久しぶりに来るというので、皆でたまには食事でもということになった。(上の弟&夫は、仕事で欠席)
そこで私を韓国ドラマの世界へいざなった上の弟の娘≒姪っ子と久しぶりに会う。
「愛の不時着」ループ状態から「トッケビ」という新しい世界にさら~っと連れて行ってくれた人がこの大学生の姪っ子。コロナ渦の恩人?韓国エンタメの師匠?
さらに、この姪っ子。
私の人生の節目、節目に名言を残す。
40過ぎてからの結婚に臆病になっていた私に「コクられたんでしょ?そんなチャンスこの先ないよ」と言ったり、心身壊れて実家に甘えていることが後ろめたかった時にも、「実家なんだから半年でも1年でも良くなるまで、ばあばのところにいたらいいじゃん。」と言って寄り添ってくれた。
のちに、あの時の精神状態を話すと、「みんな、黒歴史あるよ。あたしだっていやな奴がいて、学校行かず引きこもってたときあったもん。」
「黒歴史ね~ww」と、笑いあう。
ここでも、人生の若い師匠だ。
「今、何観てる~?」
「今はね、○○。でもあんまり進んでないの」
「△△は、観た?あ、恋愛ものだからあんまり好きじゃないか。社会派ドラマ好きだもんね」
「愛の不時着もトッケビも、まぁ恋愛ものでしょ。あの時トッケビ教えてくれたから、おかげでどんどん世界が広がったんだよー」
「トッケビいいよね。終わるとまたはじめから観たくなる。なんてったってコン・ユが味があってカッコいいよね」
うん!
コン・ユさまは、カッコいいよね♡
そんな彼女のママ(私の義妹)もドン引きしちゃうようなコン・ユ話で盛り上がった時に、姪がひとつの作品をおススメしてくれた。
「ドラマじゃないんだけど観てほしいコン・ユの映画があるの。でも、ちょっと内容がね、産後うつだったか育児ノイローゼだったか・・。夫婦の話なんだけど、奥さんが突然別人格になるの。そういうの大丈夫?でも、もう観ても、大丈夫だよね。」
産後うつ、育児ノイローゼ・・。
あの時の私を知っている姪のちょっとした気配りにウルっとくる。
もしかして、その映画は・・・・
「82年生まれ、キム・ジヨン」??
「82年生まれ、キム・ジヨン」あらすじ(引用)
結婚・出産を機に仕事を辞めた82年生まれのキム・ジヨン。大学の先輩だった夫のデヒョンと結婚し、2歳になる幼い娘アヨンがいる。
出産を機に広告代理店を辞め、今は育児と家事に追われる忙しい日に、常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあり、日々女性だけが感じる不公平な場面や理不尽なことが重なり、次第にジヨンは自分の母や友人が憑依したかのような言葉を発するようになる。
ジヨンにその時の記憶はなく、心配した夫デヒョンは、一人で精神科医に相談に行くのだったが…。
大好きなコン・ユが夫役の映画。
たしか小説も話題になっていたっけ。
ただ私、韓国ドラマはどっぷりだったけど、映画はほとんど観たことがなかった。
このタイミングでススメてくれたので、翌日、早速。
勝手なイメージで「ツレがうつになりまして」の韓国版みたいなのかな~と軽い気持ちで観てしまった。
そんな自分に始まってまもなくガツンと一発。
産後や子育て中のホルモンバランスからの「うつ」については、当時いわゆるワンオペだった友人(女の子、双子を出産)の実話がある。
「毎日、食パンの数を数えてあと何日は生きようと精神状態を保っているよ。」
「次は男の子を、という姑が私の名前を改名しろって。もう全ていやになった。」
という独身の私にたまにかかってくる彼女からの強烈な電話が未だに忘れられない。
(ちなみに、今は彼女も元気なオバサン。旦那様はATMだと思うことにしたって毒を吐く)
嫁姑問題は日韓共通なんだなと思っても、こんな日常を切りとって映画にするか?
と、やっぱり韓国のドラマ・映画はすごいなと衝撃を受けた。
その前出の友人の昔の話を思い出したこの印象的なシーンで、「コン・ユさま~」とかいうチャラい気持ちは一気に消える ↓
あまりに衝撃過ぎて、観終わってからレビューを貪欲に探しにいった。
絶賛していたのは、ほとんどが「男尊女卑」や「女性の生きづらさ」の部分。
でも、自分が共感したのは、そこではない。
どちらかというと私は「男性には男性の、女性には女性の役割がある」と、今どき古い考えだからなのかな。
それよりも・・・・・。
映画の中の「極限の精神状態の時に、別人格が憑依する」部分。
本当にそんな病気があるのかは素人だからわからないけれど、極限の精神状態の時に時々普段とは全く違う人間になるのは、自分が経験して感じたこと。
前もここに書いたことがあるけれど、あの時うつ病がかなり進行してしまった私は、
・景色に色が無くなった
・みんなが噂してここには住めないから引っ越そうと夫に頼みこんだ(被害妄想)
・何をみても、自死の道具に見えてしまう
・真冬に薄着で公園を歩いていた
そんな奇行や不思議なことがもっともっとあった。
だから、奥さん役のジヨンに別人格が憑依するということも、私にとっては現実にあるかもな・・・と、妙に納得。
それと、もうひとつ。
コン・ユが演じた優しい育児にも理解ある夫がそばにいようと、実母に相談できる環境があろうと、友だちとお茶を飲んだり、ベビーカーでカフェに気晴らしに行けていたジヨンだったけれど、それでも精神を壊してしまった。
こんなことを書いたら救いようが無くなってしまうかもしれないけれど・・・
自分の中の闇や、うつ病が進行してきた辛さは本人にしかわからない。
まわりに家族がいても友だちがいても、孤独で、暗闇で。
そこを映画で描いていたことに、ものすごく共感した。
数年前、うつ病に罹患して日常生活が送れなかった8か月間、夫に家事をすべてやってもらっていた。
夫がお皿を洗いながら、
「子どもがいたり、ひとり住まいの女の人が更年期で寝込んだりしたら、どうするんだろうね」
とさりげなく言ったひと言が、大げさではなく本当にイコール「いなくなってくれ」と聞こえて、遺書を書いた。
ひとりになると、
その「死ね死ね」軍団が、頭いっぱいに広がって本当にこの世から消えたくなり、死ぬことに対してだけ積極的に頭が働くのがうつ病のこわい部分だ。
映画では、夫デヒョンが精神科に相談するところから始まって、ジヨンが精神科を受診し新たな生活をスタートするエンディングを迎える。
(原作の小説は違うようだが・・・)
精神科医が「本人が受診したことで、もう治療の大半は済んでいますよ」と、話す。
なんだか、それにも救われた。
映画の中のジヨン、はじめは物忘れがひどくなったところから症状が悪化していく。
2週間眠れない日が続く、物忘れが多くなる、運転の仕方がわからない、お金の計算ができなくなる、字が震えて書けない・・・
その状態は脳に分泌されるセロトニンという伝達物質が欠乏している状態だから、気合いで治すものじゃないんです。
明らかに少しでもいつもの自分と違うと思ったら、気の持ちようとか自分でどうにかしようと思わず、被害妄想や希死念慮がでるような重篤な状態に移行する前にこの映画のように医療機関を受診してほしい。
決して、育児がある、仕事がある、そういう病院に行くのは気が引けるとか、理由をつけて後回しにしないで。
映画「82年生まれ、キム・ジヨン」をこの五月に観て、いまススメてくれた姪の思いやりに感謝した。
ふぅ~、色んなニュースが重なって、文章が長く熱くなりました。
読んで下さった方、ありがとうございます♪