9月になって、急に涼しくなりいっきに秋が来た感じだ。
そして・・・・・・またひとつ歳をとった。
お約束で、はっぴーばーすでーとぅみー。
あ、もうこれから歳は「重ねた」って言ったほうがカッコイイのかな。
写真は、夫が買ってきてくれたケーキ。ふたつずつかと思いきや、どれが好きかわからなくて悩んでいるうちに4つ買うことになったそうだ。
今年の誕生日は母の通院と重なったので、お昼には病院のあと母が昔からの馴染みの店で大好物をごちそうしてくれた。
海鮮丼とお蕎麦のランチセット。
おごってもらって言うのは変だけど、これで1,100円♪
安くて旨いのは、最高!
母がさりげなく言った。
「じゃあ、あの日から54年も経つんだね~、信じられないわ。」
あの日というのは言うまでもなく私を出産した日。この世にオギャーと私が誕生した瞬間。
もちろん私には記憶がないけど、母は、はじめての出産だ。
そりゃあ強烈な記憶なんだろう。
あたりまえの話だけど、そっかー、自分の誕生日は母にとってはそういう日なのだよなと気づく。
そして、なんだか改めて偉大な母に尊敬とねぎらいと色々な思いを抱く。
しかも!
54歳という年齢は、母が未亡人になった歳。
職人だった私の父はハイライトを1日3箱吸い、瓶ビールは酒屋からケースでもってきてもらうようないわゆる昭和のお父さんを絵に描いたようなひと。
破天荒でやりたい放題の人生だったが、そのぶん短命だった。
「うどんが喉につっかえて入らない」と言って、病院に行ったときは食道に7センチの癌が見つかり、それからは手術、治療のかいもなく58で亡くなった。
父亡きあと、私の歳で父の仕事を弟と一緒に繋いでいく。
いまの私にできるだろうか・・・・・。
「逆にお父さんの仕事があったから、落ち込んでいる暇なんてなかったのよ。あとは、しばらくたってお父さんのいない独り身の人生にも楽しみをみつけたし。」
そういえばあの頃、母はお友達とタイやオーストラリア行ったり「チャングムの誓い」(韓国ドラマ)にハマったりして、それで私も少し安心した。
(というか、楽しみのチョイスがやっぱり親子・・・笑)
よく、いつまでも悲しんでいると亡くなった人も成仏できないとかいう話も聞く。
ちょっとスピリチュアルな話になるけれど、わたしも父が亡くなった20代のころ、お葬式や初七日、新盆・・・・と弔う行事のたびに正直、悲しみは心の中いっぱいなんだけど、うわべだけの行事のように感じていた。(その時は誰にも言えなかったけれど。)
数か月経って日常が戻り、ある野外ライブに久しぶりに参加して演奏を聴きながらふと夜空を見上げていたときのこと。
自分のこころが野外ライブで開放されていたからか、そこでやっと父が星になって天に召されてく感じがした。
さらに、「お姉ちゃん(私の呼称)、俺はもう大丈夫だから。そっちは任せたよ」と、確かに言われた気がしたのだ。
(※普段は、霊感とかそういうの全くない自分です。)
その日から、いつまでも悲しんではいられないと。
いまも父は心の中にいて、時々人生の節目節目に考えを問うたりする。
今年の誕生日は、生誕と死という哲学的なことを考えたおもしろい誕生日だった。
親の偉大さと、あと自分には子供がいないので子孫を残すことはできないけれど、前世から現世のバトンをうけとって大切にいのちを紡いでいくということを思った。
前世とか現世とか、そんなことを書いていたら、
なんだか、また観たくなっちゃったなー。
「トッケビ」
やっぱり最後は韓ドラなのね・・・(∀`*ゞ)エヘヘ