いつもはお気楽そして旅好きアクティブな、50代のパート主婦でありますが・・・
昨日からのニュースを見ていたり新聞を読んだりで、今日は少し真面目な話になってしまいそう。
この季節、私は我が家のご先祖様の東京大空襲の慰霊祭に参列するということもあり、新聞などにも戦争に関しての記事も多々目にする機会が増える。
これは、何日か前の「昭和からの遺言」という鈴木健二さんの著書の紹介記事。
戦後生まれの方達へ。 記事より一部抜粋
戦争が終わって七十年もたつと、桜の花になぞらえて、散華と呼ばれた死に方が、当たり前であった時代を知っている日本人は皆無になったのではないでしょうか。
それどころか、かつての敵国人が観光客として満開の桜の見物に日本へ来る時代が訪れようとは。
戦争を経験しておられる世代の方達は、外国人観光客が桜を見物する姿がこのように映るのか・・・
これを読んで何か心にくるものがあった。
私も敵国と呼ばれた国や、かつて日本領であった場所に訪れるのをむしろ好んで、このごろはひとり旅として旅行先に選んでいる。
最近の旅行先だと大連やサハリン。
どちらの場所も、日本人のひとりで来た女性観光客にきっと不思議には思っているのかなと感じたものの、とってもあたたかい言葉や雰囲気で接してもらった。
ロシアや中国では言葉が強い印象はあれど、かつては日本領だったとか敵国だとか・・そんな雰囲気は、これっぽっちも感じなかった。
当時住んでいた日本の方達。どんな思いで暮らしていたんだろう。
観光という一言では片づけられない息吹のようなものを少しでも感じたいと思って、向かったのだけれど、考えてみれば大連やサハリンへ、こんな私が自由に行けるようになったのも、70年経ったいまだからこそなんだよな。
また、この記事には軍国主義に加担したとして切り株にされてしまった桜の木があると書いてある。
今の時代には考えられない。
だって桜には罪はないのだから。
そう。罪のない多くの人々が犠牲になるという痛ましいことが戦争というものなのだ。
私の今の日常は、そういった人たちすべての過去の上に成り立っているということを桜の季節が来る前に感じている。
そして未来は、もっともっと自由に行き来できる国が増えていくように。
そんなふうになればいいなと願っています。
今年も3月10日、そして11日がきます。慰霊と祈りを込めて。
まとまらない文を最後までお読みいただきありがとうございました。