約1年前、不思議な体験をした。
うーん。うまく説明できるかな・・・
場所は、ウズベキスタンのブハラという砂漠の中の街。
青のサマルカンドに憧れて思い切って一人でウズベキスタンに飛び立ったのですが、その憧れの地サマルカンドへ行く前に訪れたブハラの街が素敵すぎて、私はそこで悦に入ってしまったのです。
本当に暑い日、ブハラの街を歩いてまわりました。
この旅行記の最終章でも触れているのですが・・・・
暑くて暑くてフラフラになりながら迷路のような街を歩いていると、何故か久保田早紀の異邦人のイントロが流れてきて、アドレナリン全開!
そのあと自分が幽体離脱したような??
そう、ふわっと、自分がふたりになったんです。
(ごめんなさい、怖い話じゃないのでぜひ続きもお読みいただければと思います💦)
2017年の同じく暑い夏。
罹ってしまった「うつ病」の暗闇の中で、横になるしかない得体のしれない何かと闘っている自分に、ブハラにいる今の自分が話しかけるという体験。
「だいじょうぶ。時間が解決してくれる。」
それがきっかけなのか、この1年で「うつ病」や「うつ病になってしまった過去の自分」を忌み嫌うのではなく、その経験やメカニズムを掘り下げてみようと思い始めたんです。我ながら、へんな人だと自分でも思います。
だって私があの頃体験したことは、ほんとうに不可解なことだらけだったから。
・時間が長く感じるその怖さ
・息が苦しくなり本当に喉に何か詰まっていると思って胃カメラを飲んだこと
・テレビの殺人シーンや刃物、ロープや鉄棒、橋、電車が頭の中ですぐ死に結びつく
・今まで送ってきた日常生活(=生き方)を忘れる
・見た言葉、言われた言葉が全て「死ね」「消えろ」とイコールになる。
・手の震えで字が書けなくなる。お金の計算もできなくなる。
あと、香山リカ先生の最近の新聞のコラムに大きくうなづいた。
40代主婦、
「カレーを作ろうと思って買い物に行っても何を買っていいのかわからない」
私も入院するまで半年、買い物はもちろん、夕飯が作れなかった。
その症状がうつ病??なんて思いもしなかった。
まだまだある。
泉基樹さんという、精神科医の先生が書いた本。
「精神科医がうつ病になった」
泉先生は「うつ病」は、自分には耐えられない変化が起こった時に誰でもかかりうる病気としているが、この本は、私を動かしたというか寄り添ってくれたナンバーワンの本。
・・・まさにタイトルどおりの内容なのだが、この本の中に「モノトーンの沖縄」という章がある。
その章ではうつ病の著者が気晴らしに・・・と友人の医師に誘われて沖縄に学会に行った時のことをつづっているのだが、まさに私もあの頃の景色はモノトーンだったことを思い出した。
モノトーンとかっていうカッコいいものではない。
いちばん覚えているのが、秋。
希死念慮をコントロールできず、でも人に言えなくて落ち着かないから外へ歩きに行ってみる。
季節的に紅葉がきれいなはずなのに、本当に白黒に見えた。色がない。
(今はそんなバカな・・・と思ってしまうけど)
それも、「離人・現実感消失症状」といって、うつによる脳の機能障害なんだそうだ。
ああ、あの時白黒だったのってそういうことだったのか。
言葉が合っているかわからないけど、ひとつわかってくると面白くなってくる。
そして、うつ病をほおっておく事の怖さもますます強くなった。
だからこの秋、精神医学とまではいかなくとも、自分が罹ったうつ病のことを勉強しようと思ってちょっとした自己投資した。(旅費に比べたら全然OKね)
「うつ病アドバイザー」
名前は生々しいし、おこがましさも120%。
心理カウンセラーなどの資格も全く興味もない。
ただただ、うつ病に特化した学びをと思ってテキストのようなものを探したら大手のユーキャンでは見つからず、見つかったのがキャリアカレッジという会社のコレだけだった。
自分の体験したことが今後だれかの役に立てれば・・・という言葉はよく聞く。
わたしの気持ちも、まさにそのとおり。
あの時の暗闇の中の辛さを考えると本当は「うつ病」なんて罹らないほうがいいに決まっている。
でも、もしも今、同じような症状で自分がおかしいなと思っている人がいたら傾聴したいし、症状のひとつ一番危険な希死念慮が強くならないうちに病院へと強く思う。
今年の秋は学びの秋にしようかな。
なーんて、カッコいいこと言っちゃったりして(^^)
【追記】
お辛いご経験、家族側のお話をお寄せ下さった方、本当にありがとうございます。
自分の時と重ね合わせて大切に読みました。
お気づかいに甘えて、こちらでお礼申し上げます。