あまり思い出したくない2年前の夏の1ページ。
あの時手術後のリハビリと思って、毎日毎日意味もなく公園をふらふら歩いていました。
まわりの誰もが休め、休めって言ってくれたけど・・・
早く日常生活が戻るように。
そして仕事に旅に復帰できるようにと。
いまみると、奇しくもこの ‘’もや‘’ がかかっているピンボケ写真はその時の自分の心を映しているよう。
落ちていく夕日に何か空しさを感じて撮ったのかもしれない。
前回、そんなあの夏の日記が出てきてこんな記事を書きました。
このブログは旅やお出かけの話題を中心に続けてきたので、こういう病気の話はどうなのかと思ったのですが・・。
でも、この記事を読んでくれる方がたくさんいらして、また同じタイミングでネプチューン名倉潤さんのうつ病公表で、やっぱり2年経って書きたい伝えたいという気持ちが強くなってしまったようです。
今までも、いろいろな著名人がうつ病を公表し、本を出版されたりしています。
もちろん身近な友人知人にもうつ病を患って長い間大変な思いをされた話も聞いてきました。
でも私にとって名倉さんの公表は今までの気持ちとは違った。
なんだろう・・自分の心の中の何かがパーッとひらけた気持ち。
「私も同じように術後からすべてがおかしくなってしまったんだよ・・」というものすごい共感。
弟と同い歳の名倉さん。テレビの中でしか見ない芸人さんなのに、かわいい弟のように思えて今すぐ駆け寄って抱きしめたい気持ちになりました。(気持ちだけだから許してね☺)
そんな気持ちになったのは、名倉さんの病状の説明の中で「手術による侵襲」というはじめて聞く言葉。
はじめて聞いたはずなのに、何故か私は調べなくても意味が分かりました。
山野医療専門学校副校長で医学博士の中原英臣氏は、「『侵襲』とは、手術や薬の副作用など身体を傷つける全てのことを指す。重篤な患者の手術や、手術で回復しない場合などには鬱病の発症があり得るが、一般的には手術による侵襲が鬱病の引き金になることはまずないと考えていい。名倉さんの場合、手術の経過は良好ということなので、相当まれなケースだろう」と解説する。
ライブドアニュースより引用
この記事でも手術による侵襲がうつ病の引き金になることはまずないと。
いろんな記事を読むにつれ、レアケースとか侵襲が原因でうつなんて聞いたことないとか。
私もよくなってから入院と外来でお世話になった先生に、こういう術後が良好な人がストレスでうつになるケースってあるんですか?と質問した。
私の主治医はドライな先生で、いつもデータをもとに話をする、いわゆるカウンセリングのような寄り添い方をしない。
その答えも「ごくまれにありますね。」とあっさりだった。
だからなんか、やっぱりストレスに弱い人がなるのかなぁとか少数派なんだとか思ってきました。
名倉さんとは手術の内容は違えど外科的手術は成功し、外科のオペの先生は言い方悪いけどオペが終われば手放し。もうもとどおりだから傷の痛みは頑張って我慢して、あとは普通に生活していいですよと言う。
でも体の中、内臓の位置が変わったようなぐちゃぐちゃになった感覚。
その上襲ってくるめまい、吐き気、のどやお腹に何か詰まっているような違和感、息も苦しく、のどが渇き、ひとりになるとパニックになる・・。
皆、休めというので横になってみる。
横になっても布団の中にいても昼も夜も休んでいる感じがしない。頭だけはギンギンに冴えていて、もう日常に戻れないかもしれないという焦りの塊みたいなものが、のしかかって体が重い。
やがて、普段ふつうにやっていることができなくなってしまう。
ご飯を作る、お風呂に入る、歯磨きをする、化粧をする、洋服を着る・・・
暑い寒いもわからず、今日何を着ればいいのかわからない。
いちばん自分がおかしいと思ったのがお財布や銀行口座の管理。
50歳の私が普段それができなくなるなんて考えたこともない。お金が数えられなくなって自分が怖くなった。
仕方なく小さな小銭入れに3000円だけ入れるようにしていた。
そして6か月。
だんだん被害妄想と希死念慮(死にたい・消えたいという気持ち)が出てくる。
夜中にここには住めないから引っ越そうよと夫をゆすり起こす。
湯舟につかっている夫が心配で何回も見に行って「いいかげんにしろ!」と温厚な夫に怒られる。
希死念慮に関しては、もともとの性格もまったく関係ない。
ふだんの私は、自ら命を絶つなんてぜったいダメだと思っている人だ。
それでも・・・・・・・・・
あらゆるものが命を絶つ手段になると思う思考になる。
私のいちばん今、信じられない話。
2年前の夏、韓国の美脚ミニスカートのゴルフプレーヤーである「アン・シネ」さんがワイドショーをにぎわしていたのだけれど、「アン・シネ」が「あんた死ね」に見えて遺書を書いた。
いまではうそでしょ?って笑っちゃう話だけどホントの話なんです。
うつ病の症状のひとつが死にたくなること。
名倉さんはそういう状態かどうかはわからないけれど、術後ほどなく復帰されて1年間ふつうにテレビのお仕事されていたと・・。
相当きつかったと思う。
よくうつ病のひとに頑張れは禁句という。
でも、こんなこと書いてはいけないかもしれないけれど、
意外と正直私が辛かったのは「休んでね」。「休みなさい」「休め」もプレッシャーだった。
休み方もわからないのだ。
じゃあなんて声をかければいいの?
元も子もないけれど、経験上、うつ病で苦しんでいる当事者になかなか声は届かないと思う。
それでもいま名倉さんや、自分がおかしい、うつかもしれないと思っている方へ自分が言えること。
お薬をきちんと飲んで体を休めることに加えて、強制的にでも日常とか社会とかをシャットアウトして脳を休めて下さいということ。
誤解をまねくといけないけれど、重症化して被害妄想や希死念慮が出てきたら家族でゆっくり過ごすとかだけでは治療にはならないと思っています。
家族の協力はとっても大切。でも100%、24時間は守り切れない。
うつ病を患う人の家族は想像以上に過酷だと思うし修羅場も多々ある。
だから、できるなら精神科へ入院してテレビもスマホもなくして家族とも距離をおいて脳をいったん空っぽにする。物理的に命を絶とうとしないようにするためにも。
あんなに拒んでいた精神科へ入院して2か月で本来の自分に戻りました。
手の震えでうまく字が書けなかったことを除いては、外来だけで日常生活ができるようになりました。
不思議と自分の見える景色にかかっていた“もや”が嘘のように晴れました。
入院中のクリスマスイベントでもらった手作りの革細工の靴。玄関に飾っています。
そんな私も1か月を切ったウズベキスタンへの旅に思いを馳せています。
あの時の自分からは外国へ旅する自分にもどれるなんて、考えられなかったこと。
いまもし、眠れないな、休めないな、なんかへんだな?って思っている方へ、そして名倉さんへ、私の思いが経験が届いてくれることを願っています。