旅ゆけば~よろずな diary~

旅の記録と日々のあれこれを綴った日記です。

「あと何回会えるのかな。」旧友の言葉にドキッとして栃木県宇都宮市へ週末Trip♪・・・のお話。

 

先週末はスポーツの日のとあるイベントで栃木県の鹿沼市というところへ向かうことになった。

その先週の週初め、今は福島と新潟の県境の山深い場所に住む同い年の友だちから思いがけなく連絡がある。

 

その旧友については、以前にも記事にしていたかな。

outblue69.hatenablog.com

以下、上の記事より。

彼女は20代の時にバンドを追っかけたりライブハウスに入り浸ってた頃の仲間のひとりで、当時、東京・吉祥寺の風呂無しアパートに住んでいて、多いときは週3日泊めてもらった。

女子ふたりでお風呂屋に行ったり、まさに女どうしの「同棲時代」!

そんな彼女も30歳目前に、田舎に帰って婚活・・・ということになったのだが、女一人っ子のお婿さんを探すのはなかなか難しかったらしい。

よくいう婚期を逃してしまったということ・・。

 

そのうちに、お母さんが他界。

高齢のお父さんとふたりで山の中のお家に暮らす。冬は雪おろしが大変で、毎年雪のニュースを見るたびに電話をしていたのだが、

「あたし、彼氏や結婚相手が欲しいんじゃなくて、男手(おとこで)か、雪下ろしに人を雇えるお金が欲しいのかもー」

彼女の本音の名言は未だに忘れられない。

 

ついに・・・・・先月お父さんが他界。

わたしと同い年だから、54歳、独身女性が、田舎の家にひとりになった。

日曜日にたくましく屋根のペンキを塗っている姿を想像する。

私も「外国をひとり旅できるなんて!」と、よく人からたくましいと言われることが多々あるけれど、やはり類は友を呼ぶ。

わたしのまわりには、たくましいハートの女性が多く彼女もそのひとり。

でも山深い田舎に一人で暮らしているのだから、私の比ではないのだが・・・

 

ここからは少ししんみりした話。

 

昔を思えば、遠く離れた人と無料で通話ができるなんて夢のようなLINE電話。

 

「急にごめんね。ちょっと驚いたことがさっきあって。まだちょっと心がざわざわしてるのよ。」

「え?どうした?」

「あの頃の仲間でTさんて、いたでしょ?覚えてる?」

私と彼女はその昔、中央線沿いのライブハウスで活動して間もないバンドたちの追っかけとも言おうか、いわゆる毎夜毎夜つるんでいた仲間なのだが。

 

「Tさんは確か▲▲の、女性ボーカルだった人?同い年だよね。」

 

「そうそう。さっき、Tさんの旦那さんだって人からTさんが喉頭がんが全身に転移して、いま千葉の病院で緩和ケアの状態なんだって。声も出ないし最近は意思疎通もできない昏睡状態で。でね、旦那さんが誰に連絡すべきなのかわからないし、心の置き場がなくて、Tさんのスマホに入ってる電話番号に片っ端から連絡してるみたい。」

 

一瞬、言葉を失う。

アマチュアだったけれど華やかなボーカリストだった彼女が、声を失い、緩和ケアで昏睡状態って。

 

疎遠になって何十年も経つし、もともと彼女のほうがTさんと親しくしていたから今の私の人生には影がそうとう薄かったんだけど、それでもショッキングだった。

 

ひととおり話をして彼女が謝りながら、

「自分の胸の中だけには、しまっておけなくてさ。」という。

そして、「○○(私のこと)とも、あと何回会えるのかななんて、考えちゃって。もし会えないままだったりするのは、なんかさびしいじゃない?」

 

・・・・・・・。

 

沈黙のあと、何をトチ狂ったか、たぶん私の思考回路も訳わからずだったんだと思う。

思わず、会おう!今週末!

となってしまった。

 

「今週末、栃木に(コレコレこういう訳で)ひとりで一泊するんだけど宇都宮だったら来れる?」

「うん。高速飛ばせば4時間ぐらいで行けるよ」

「私、夕方には解放されると思う。部活の顧問か体育の先生みたいなカッコだけどいい?」

 

手前味噌だけど、ふたりとも55歳にしては瞬発力すごくないか?

 

待ち合わせした

ホテル・ザ・セントレ宇都宮

私の今晩の宿泊先。

 

東武宇都宮駅近くの、

椛凛(かばりん)へ、移動。

 

炭ときどき薪 椛凛 - 宇都宮市のステーキ・ハンバーグ・創作居酒屋|栃ナビ! (tochinavi.net)

 

 

 

彼女は、もともとノンアルコールなので、ジャスミンティー。

申し訳ない、私だけ樽生ビールを。

 

再会に乾杯!

 

 

何も考えずホテル近くだったので入ったお店だったけど、ハンバーグがメインのめずらしい居酒屋だった。

 

 

「あの、吉祥寺の地下の洋食屋さんのハンバーグ、思い出すねー。」

「なつかしー。まだやってるのかな。」

 

おたがい、敢えて悲しい話はしなかった。

 

確実にTさんが、ふたりをここで再会させてくれたのだけれど。

 

お会計の時、金髪の若い店員さんに

「この人これから新潟と福島の県境まで帰るんですよ」

って、言ったら、

「えーーーーっ、まじっすか?高速で?カッコイイです!そういうお姉さんは?」

「私は飲んじゃったしぃ、泊まって明日東京へ帰ります」

「え?そういうのいいっすねー。うちの店、選んでくれてあざーっす!」

 

こんな会話を、彼女も少女のような笑顔で楽しんでいた。

 

彼女が自宅に着いたのは翌朝4時。

私はホテルの慣れない枕と気持ちの高揚で、ギンギンに目がさえていて、すぐLINEの返信をした。

「寝てるかと思ったー!」

 

翌朝のオリオン通り。

 


「生きているうちに、あと何回会えるのかな」とか、

「今のうちに会っておこう」とか。

 

もっともっと歳をとってから、考えることだと思ってた。

 

でも、遠距離を理由に、コロナを理由に、忙しさを理由にしてはいけないと、旧友の1本の電話で気がついた。

 

会いたい人には会って。

行きたいとこには行って。

 

健やかな時に、できることはやらなくちゃ。