毎年この時期になると病気療養から復活した3年前を思い出す。
仕事を再開して、目に映る景色にも色が戻り、「生きている」っていう命の息吹のようなものを感じたこと。
そして、忘れられない旅も一緒に。
2018年3月末に週末2泊3日で行った中国大連へのひとり旅。
今となっては海外旅行、ましてや中国など、今度いつ行けるのかという状況であるけれど、その大連への3年前の旅も、病室のベッドの上で、「もう海外へなんて二度と行けないだろう」と思っていたそのわずか数か月後の話だ。
コロナ渦も然りだけれど、人生は本当にとつぜん何が起こるかわからない。
それは身をもって経験している。
このブログにも何度か書いているけれど、その頃の自分は、婦人科系の術後のうつ病によって脳の機能が働かなくなり、からだもこころも動かなくなってしまっていた。
テレビや本すら頭に入ってこない。
すべての「欲」が消えてしまった・・・。
幻聴や被害妄想まで出てしまっていたから、騒ぎも起こし、家族にも近しい友人にも迷惑をかけ、精神科に2ヵ月入院するところまでいったのだが、幸い良い先生に出会い、そこを退院してからは周りがびっくりするくらいのリカバリーの速さで、こんな記事を書いている。
退院して2か月。
主治医の先生にも断らず、今考えると夫や母もよく無謀な私を信じて出してくれたと感謝する。逆の立場だったら絶対に心配なはずだ。
海外へのひとり旅は、私の「生きる欲の集大成」のようなもの。
食欲が戻ってきて、日常が戻ってきて、家事ができて、仕事が再開できて・・・その先に旅があった。
きっと近場で週末にサクッと行けるという理由で大連の街を選んだのだと記憶しているけれど、旅の計画から手配、荷物の準備、そして実際に現地に着いた時のことを今、思い出してもゾクゾクする。
1元を握りしめ、レトロな路面電車に乗る。
ずっと乗りたかった日本統治時代の満鉄の車両だ。
得意な「乗り倒し」が頭角を現すと、「自分が戻ってきた。いま生きてる!」と実感した。
街をくまなく歩く。
この「旅感(たびかん)」を、写真で遊んでみたりして。
うつ状態だった孤独とは対極の、たそがれを存分に味わう。
ここでも、足の疲れさえ愛おしいような不思議な感覚を味わったことを覚えている。
人との出会いもあった。
フードコートで簡単に夕食をすませたあと、子供の遊具スペースのいっかくにあった卓球コーナー。
中国は卓球王国だもんなぁ・・と、ずーっと見ていたら、指導者のおじさんが「やってみる?」と手招きする。
おじさんとラリーして、「いいよ、君のフォーム。」とジェスチャーで褒められ「いま、自分が中国で卓球してる!」と脳と身体の機能が元に戻ったことを喜んだ。
おじさん、元気かなぁ。
こんな私の旅の思い出は、かたちのない宝物。
旅が難しい世界に少しは慣れたと思っていたけど、久しぶりに旅行記のような記事を書いていたら、やっぱりまたいつか旅に出たいと思う。
それまで、すこやかに過ごそう。
そして日常を楽しもう。