旅ゆけば~よろずな diary~

旅の記録と日々のあれこれを綴った日記です。

あきらめること、執着を断つこと。ミャンマーの僧侶から学ぶ私の新たな日常・・・のお話。

ミャンマー: 写真
ミャンマー (トリップアドバイザー提供)

 

5月になった。

早いのか遅いのかもうわからなくなってしまった。

 

去年はゴールデンウイーク中に夏のウズベキスタン行きを決めたんだっけ。

今年はゴールデンウイークならぬ、かつてないStayHome週間。

 

しかも今月の仕事の予定は連絡待ちで、公私ともにスケジュール真っ白な状態。

どうなるんだろう。

 

そういえば、2月ごろだったか・・

地域のコミュニティセンターの窓口のおじさんが、

「俺、4月にミャンマー行くことになってるんだよね」

って言ってたのを思い出した。

 

ミャンマーか・・・・・

行ったことないし、アウンサンスーチーさんやビルマの竪琴ぐらいしか馴染みがない。

あと、ミャンマービールは美味しいって聞いた。

 

でも昔、ミャンマーとラオスとタイの国境(ゴールデントライアングル)に行きたいなーと思って、るるぶを買ったなぁ。

 

本棚にはビルマの竪琴も一緒にあった、あった。

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それからコミュニティセンターはコロナ対策でクローズしてしまい、おじさんとは会えてない。

でもこの状況では残念ながらきっと4月の渡航は無理だったと思う。

 

おじさんは、どういう経緯でなのかは詳しく知らないけれど日本語を教えに年に数回ミャンマーへ行っているらしい。

ある夏、暑い日に黒字に白で「ミャンマー」と書いてあるTシャツを着ていたので、私が声をかけたことから会話がはじまった。

 

私は普段、自分から旅が好きだということや、ひとりで行ってきた国のことをあまり人には話さない。

お友達と行ったハワイやベトナムなどは、おみやげ買ってきたり話もするけど、ロシアや中国、ましてやウズベキスタンなどの話をしたところで「そこへ行って何があるの?」とか「おもしろいの?」「衛生的に大丈夫?」とか返答されると、悲しくなるから。

 

だけど、たまーーーーに「この人にはわかってもらえそう♡」っていう人がいたりする。そのミャンマーおじさんも、そういう匂いがプンプンする人だった。

 

「大連行って、旧日本領時代の満鉄乗ってきちゃいました。」

「えー。大連!俺も行きたいんだよ。いま、春秋航空が999円セールやってるんだよね。」

そんなふうに、ぽんぽん話が弾む。

 

しかも奥さまは、ピースボートに乗って世界一周の旅に出ると半年いなかったりするそうだ。もう私からすると、わくわく夫妻である。

そんな奥さまも今の世界の状況に胸を痛めていることだろう。

 

前置きが長くなったけれど、そんなご縁のミャンマー。

実は、大好きな乃南アサさんがこんな本を出しているのだ👀

 

せっかくなので、このStayHome週間に少し勉強しようと読み始める。

失われるアジアのふるさと ミャンマー

失われるアジアのふるさと ミャンマー

  • 作者:乃南 アサ
  • 発売日: 2008/06/13
  • メディア: 単行本
 

 

名付けて「教えて!ミャンマーってどんな国?」

←池上さんの番組みたいになってしまったww

 

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私たちの国もかつてはそういう暮らしをしていた。豊かでない時代を生きなけれならない人々には、確かに日々の苦労がつきまとい、拭いがたい疲労を背負い続けなければならない重たさがある。

だが実にささやかなことでも心から喜び、笑うことを知っていた。

家族は老人から幼児までが肩を寄せ合って助け合い、互いに情けをかけることを忘れなかった。

今、この国の人たちは、かつての私たちと同じような日々に加えて、さらに祈りを欠かさず、豊かな来世を願って僧侶への功徳を行い・・・・・(後略)

 (本文より引用)

 

ハッとした。10年も前の本だけれど・・・

 

とくに、ささやかなことでも心から喜び の部分。

丁寧に毎日を過ごしているからこその、喜び。

 

いまの自分らの国。こうなってみると、いかに普段が物も豊かすぎて街には娯楽もあふれていたことに気づく。

少し自由を失ったぐらいで、ジタバタしている。

そして最近の私は、非日常である旅やお出かけに行けず、本当にささやかな○○を糧に日常をおくっているなぁ・・としみじみ思う。

 

また、ミャンマーの仏教や僧侶について書いている部分、

 

仏教においては何よりも出家が重視される。生きていく上での苦しみから解放されるためには、一切の執着を断つことが大切であり、それこそが輪廻から解き放たれた悟りを開く。

 

あきらめるより他はない。そんな執着こそ捨てなければならない。

 

宗教とかは、よくわからないけれど、この、あきらめること、執着を捨てるということ。

 

非常事態の今の状況においては、すごく大事なことなんじゃないかって。

これができたら、人は強いんじゃないかって思った。

 

加えてミャンマーの近代の歴史から。

 

88年の民主化デモ、2007年の僧侶のデモ、2008年のサイクロン。

政府や指導者が何も言わなくても、生きていくために自分の大切な人を守るために、一生懸命その国難を乗り越えてきたミャンマーの人たち。

 

きっとコロナのことも、どうしたら生き残れるかどうしたら安全を保てるかという危機感が強い国なのではと想像する。

 

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ロイターより写真借用「マスクをするヤンゴンの少女」

 

個人的には世界へまた旅ができる日は、ずっと先のような気がしている。

それよりも、アフターコロナは人の価値観や人生観すらも変わってしまうのではとも思う。

 

でも、もしも許される日が来たら、この人間力の強い国ミャンマーへ行ってみたい。