ゴールデンウィーク、夏のウズベキスタン行きのことで頭がいっぱいだったのだが、ぽっかり空いた時間に、ブックオフへ本を物色~。
久しぶりに大好きな小池真理子さんを読んでみようと思い、程よい厚みのまだ読んだことのない『沈黙のひと』を手にとった。
タイトルから本の内容を想像する。
たとえば裁判などで事情があって話すことができない、いわゆる黙秘する人の話なのかな・・ぐらいに思っていた。
ところがふたを開けてみたら・・・
パーキンソン病で手足も動かせない話すこともできなくなり老人ホームで静かに息をひきとった父の一生、
そして認知症になってしまった母の人生・・・
ひとの人生、一生ってなんだろうということを、50代主人公の衿子が静かに見届け、回想するお話だった。
ゴールデンウィークに読み始めたけれど、浮かれた自分に戒めのようなまたとてつもなく大きなテーマを投げかけてくれた。
この本の中で強烈なシーンがふたつある。
ひとつは主人公衿子がお父さんの遺品を片付けていた時にAVビデオや性具、いわゆる大人のおもちゃを見つけるシーン。
なんと。衿子はそのビデオを1本自宅にもって帰って供養だと慟哭しながらビールを飲みながら観るのだ。
そしてもうひとつは認知症のお母さんのこと。
これは原文のまま。
だが、どんなに脳がつるつるになったとしても、委縮して役立たずになってしまったとしても、母が生きた八十数年という時間は消えはしない。脳が忘れても、肉体が消滅したとしても、そこに流れた時間だけは残される。
老いて人生の終わりをひっそりと締めくくったお父さんも、排泄物を部屋の床になすりつけるようになってしまってもお父さんから贈られた指輪はずっと大切にしているお母さんも、ひとりの男、ひとりの女、ひとつの人生を送った人間だったんたんだってこと。
奇しくもちょうど読みおわった頃、またもや老人ホームでの暴行死事件のニュースを耳にして、ひとの尊厳って何だろうって、ほんとうに何とも言えない気持ちになった。
私自身は父が50代で亡くなって、同じくいまの私の歳で未亡人になった母は今も元気に人生を謳歌している。
でも同世代、もちろん介護に直面している方がとても多く、そういう背景を含めてもとてもパッっと手にした文庫本にしては大きなテーマの一冊だった。
私にも確実にいずれ老いる時が来る。
だから、今しかできないことをしたい。
そして育ててもらった分、いま母にできることは全力でしたいと思う。
今日の記事はかなり重くなってしまった。
年齢のせいなのかもしれないな・・・